What's New?

2004年4月 ラボが理化学研究所横浜研究所(RCAI 免疫系構築研究チーム)に移ります。 

       特定領域研究のホームページのURLが4月1日からhttp://leib.rcai.riken.jp/membranetraffic/index.htmlにかわります。

2003年4月  テクニカルスタッフの大島さんが加わり、総勢18名での4月スタートとなりました。

2003年3月  修士課程を終えた塩田さん、藤井さん、鍾利さんのうち、塩田さん、藤井さんの2名は就職の為巣立って行きました。鍾利さんは博士課程に進むこととなりました。また、大学院生の吉村さんは中村助教授のいる薬学部に移りました。

2002年10月  アメリカから帰国した長谷さんが助手として加わりました。また、中村助教授が金大薬学部物質機能分子科学に転出しました。

2002年9月  テクニカルスタッフの千原さんが加わりました。また、金沢医科大学精神科・大学院2年の廣保さんが共同研究の為、加わりました。

2002年7月 m1Bのmutantの機能解析の論文がMBCに掲載されました。また、2年間にわたり研究室を支えてくれた秘書の今村さんが8月に出産を控え、産後は育児に専念されるということで退職されました。かわって高瀬さんが秘書として、またテクニカルスタッフとして谷浦さんが新たに加わりました。

2002年5月 テクニカルスタッフの竹之内さんが加わりました。

2002年4月 田中助手が母校香川大学に転出し、また杉本、鈴木の大学院生2名が卒業して巣立っていきました。かわって研究所技能補佐員の渡邊さん、大学院生の光成君、理研研究員・テクニカルスタッフの高津君、高野さん、垣内さん、橋本君が新たに加わり、研究室の顔ぶれも大分様変わりしました。

2002年1月 教授の大野が理化学研究所・免疫アレルギー科学総合研究センター・粘膜免疫系再構築研究チームのチームリーダーを兼任することになりました。

2001年4月 学振特別研究員の中津さん、大学院生の塩田さん・藤井君と新たなメンバー3名を迎え、総勢14名となりました。研究補助員だった鍾利さんも修士課程に合格し、大学院生は全部で7名に。

2001年3月  モバイルデータプロジェクタを購入。週1回のラボ・ミーティングでもどんどん活用して、活発なディスカッションが行われています。

2000年12月 ユビキチンのエンドサイトーシスシグナルの発表が、San Franciscoで行われたアメリカ細胞生物学会のエンドサイトーシスに関するminisymposiumの招待講演に選ばれました。

2000年10月 大学院生にイランからの留学生シャクーリさんを迎え、英語での会話がちらほら聞こえるようになってきました。

2000年8月 ユビキチンの一次配列にはLeu-Ileというエンドサイトーシスシグナルが存在し、それによりユビキチン化された膜蛋白質(増殖因子受容体など)がエンドサイトーシスされ、最終的にはリソソームへと運ばれて分解される可能性を示しました(JBC online)。これは、増殖因子受容体の脱感作のメカニズムとしても重要と考えられます。

2000年8月 研究補助員として、中国は四川出身の鍾 利(しゅ り)さんがメンバーに加わり、ただいま田中博士のもとで実験技術を習得中です。

2000年4月 研究室を立ち上げてから早くも1年が過ぎました。本年度から新たに2名のポスドク(小出・田中両博士)が加わり、ようやく活気がでてきました。

1999年10月 私達がクローニングしたμ1Bが、極性を持つ上皮細胞において、トランスフェリン受容体やLDL受容体の側基底面細胞膜への選択的輸送に関与することを示す論文を、10月15日発行のCell誌に発表しました。これはYale大学のIra Mellman博士およびNIHのJuan S. Bonifacino博士との共同研究によるものです。この論文の内容は同じCellの"Minireview"にも取り上げられました。  

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