~ロジスティクスとは~
産業ロジスティクスから細胞内ロジスティクスへ?新たなパラダイムの誕生?

領域代表 吉森 保

 「ロジスティクスとは、需要に対して調達、生産、販売、物流等の供給活動を同期化させるためのマネジメントであり、そのねらいは顧客満足の充足、無駄な在庫の削減や移動の極小化、供給コストの低減等を実現することにより、企業の競争力を強化し、企業価値を高めることにあります。」(社団法人・日本ロジスティクスシステム協会)

 Logistics は元々軍事用語であり、兵站、兵站補給、後方補給等と訳される。「戦闘部隊の後方にあって軍隊の戦闘力を維持し継続的に作戦行動を可能とする機能や活動、組織の全般を指す。一般的に兵器・燃料・食料などを戦闘部隊へ届ける補給、兵器を含む機械類の整備と修理、将兵の医療、拠点設営、兵站線の確保、各種物品の取得と保有・管理、役務提供等を包括的に指す。(ウィキペディアより)」語源は古代ローマ軍の行政官に遡り、軍事行動の成否を握るものとして古来重視されてきた。これがアメリカ合衆国においてビジネス用語に転用され、今日広く定着するに至っている。何々ロジスティクスと書かれたトレーラーや倉庫を見かけたことのある人も多いのではないだろうか。その背景には、やはりアメリカで1900年代初頭に発生したマーケティングの思想があり(マーケティング思想は大量生産経済の登場と密接に関係する)、その展開の中で物的流通(物流: Physical Distribution )が注目され、そこにマネジメントの発想を加えた概念「ロジスティクス」が発展することとなった。高度消費社会における財の発生から消費までの複雑な過程を制御しようという戦略的物流の視点である。そこでは物流は連続体としてとらえられ、供給連鎖線(サプライチェーン)が構成される。ロジスティクスは概念であると同時にスキルである。私は経済学者ではないので乱暴な言い方をしてしまうと、要するに、全体を俯瞰して生産、輸送、備蓄、販売を計画的に管理しないと大損しますよ、ということだ。魚を捕ってきてすぐに自分で食べるか隣の人に売るくらいの小規模経済ならいざしらず、大量生産・大量流通・大量消費が行われる現代社会の企業活動では、商品を消費動向と無関係に生産したり、輸送に手間取ったり、売れ行きの悪い地域に送り込んだり、倉庫で腐らせてしまったり等々、そういうこと全てがコストの増大を産み、企業に致命的なダメージを与える。いかに 全体最適化 を行うか。それがロジスティクスの真髄である。(同期化という言い方もされる。市場の販売動向に同期化、等。あるいは適合とも)ロジスティクスにおける全体最適化は極めて動的なものであり、時々刻々と変化する多くのファクターに迅速にシステマティックに反応することが求められる。すなわち、如何に正確かつ機敏に内部及び外部環境に適応できるかが死命を制する。この様な観点から、多くの大企業では、それまで個別に管理運営されていた生産、流通、販売等の各部門部署に対し、権限を付与された責任単位による統合的組織的(つまりシステムとしての)管理が実施されるようになり、ロジスティクスは次第に、よりハイレベルなものとなっていった。経験や熟練による管理から,科学的管理へ、単なる個別的コスト削減から、効率効果のバランス制御による市場適合、戦術と拠点重視から戦略と情報重視へ、と進化を遂げた。さらには企業の境界を超えた管理・制御が考えられるにようになり、サプライチェーンマネージメント( SCM )と言うロジスティクスより上位の概念が提唱されるに至っている。いずれにしろ、本質的には管理や調整といったソフト的な概念であるが、輸送や保管技術、コンピューター技術等のハードウェアに依存しておりその発展に大きな影響を受けることも際だった特徴である。

 素人による勝手な解説ではあるが、以上がビジネスにおけるロジスティクスのあらましである。これは何かに似ていないだろうか。そう、細胞の内部における物流である。細胞内では絶え間なく多種多様なタンパク質や脂質などの高分子が生合成され、各所に輸送されて機能し、最後には消費(分解)されている。細胞膜や各種オルガネラを結んで大規模な輸送網を展開しているメンブレントラフィックは、細胞内物流の主要な担い手である。メンブレントラフィックは、エスカレーター式に A 地点から B 地点へ分子を運ぶだけではなく、多くの場合、必要なときに必要な場所に必要なだけ効率的に輸送する高度に制御されたシステムとして機能していることが次第に明らかになってきた。消化酵素の調節性分泌、 EGF 受容体のダウンレギュレーション、インシュリン刺激によるグルコース輸送体のリサイクリング等々、その例は枚挙にいとまがない。輸送経路間あるいは他の細胞機能とのクロストークが存在することもまた垣間見えてきた。膨大な量の分子往来に対し、細胞、ひいては組織や個体全体を見渡した統括的な物流管理、すなわち「細胞内ロジスティクス」が存在していると考えると分かり易い。メンブレントラフィックの研究は、輸送の仕組みからその個別的調節、さらにはより包括的な調節=全体最適化へと進むのではないかと予想される。ちょうど、ビジネスにおいて単なる物流が、ロジスティクス、 SCM へと進化してきたように。メンブレントラフィックの調節の問題は、疾患と深く関わる。輸送そのもの、つまりエンジン部分に関わる遺伝子の欠損は致死的である一方で、制御システムの障害や破綻は疾患の原因になりやすいと考えられ、事実そのような疾患の発見が相次いでいる。メンブレントラフィックは、細胞膜に接続し、外部からの物質や情報の取り込み、あるいは外部への物質放出や情報発信などにも関わる。細胞の対外活動において最前線となる細胞膜の後方補給活動を行っているという意味でもロジスティクス(この場合は軍事用語の)と呼べる。多細胞生物では、この活動を通して、神経、内分泌、免疫系といった多数の細胞の連携による高次生体機能を支えており、従ってヒトを始めとする高等生物では発達・複雑化した細胞内ロジスティクスへの依存度が高い。

 最適化や適応がどのようにすれば達成できるかを人間が考えようという産業ロジスティクスに対し、細胞内ロジスティクスは既に存在し実行されており、我々はそれを解き明かしていくことになる。もちろん、細胞内ロジスティクスは作業仮説・モデルであり、先験的に自明なものではないが、生物の特性としての合目的性を考えると非常に強力な作業仮説である。そのような前提に立ったアプローチが、大きな研究成果を産むのではないかというのが本領域の立場である。細胞内ロジスティクスは、細胞内物流の言い換えでは無くそれを超える概念である。ビジネスにおける物流とロジスティクスの関係のように。そしてこの新たな概念の導入により、問題点の明確化、モデルの確立、新たな切り口の発見が期待される。例えば、複数の物流経路を同時に調節する機構が見出されるかもしれない。シャペロンという言葉が持ち込まれたことで新たな分野が始まり拡がったように、細胞内ロジスティクスという視点の付与はメンブレントラフィック研究をメタ・メンブレントラフィック研究に導きうる。概念があって初めて見えてくるものがあり、同じ生化学データ、同じ電子顕微鏡写真を眺めていても、概念を知らないと見えないものが確実にある。なお、細胞内ロジスティクスの概念は、メンブレントラフィックに限定されない。タンパク質品質管理機構やミトコンドリア・核への分子輸送なども当然包括される。しかし、本新学術領域研究では、領域の規模の大きさなどから対象をメンブレントラフィックに絞っていることをお断りしておきたい。

 生命の精緻さは研究者を魅了してやまないが、細胞から学んだ巧妙なロジスティクスを、ビジネスに応用できる日が来たらそれもまた面白いのではなかろうか。

 

(本稿の執筆に当たって、日本物流学会ロジスティクス研究会の「物流・ロジスティクス・ SCM 概念について」を参考にした。)

 

 

 


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